社畜のはりきり朝ごはん

社畜なのにがんばって朝ごはん作るよ!ホントだよ!炊飯器でカレーとか作るんだよ!٩( 'ω' )و

連休に実家へ帰った結果www

おばあちゃんが僕に会いたがっているという。



それを聞いた僕はただごとではないと思ってしまって、ゴールデンウィークにふるさとへ帰る飛行機を急いで予約したのである。



九州は宮崎から東京へやってきた僕は、年末年始にしか帰らない。




お正月、東京に戻るときにおばばあちゃんは「またねぇ」というのだがそれは次のお正月のことを指しているのだ。



今年88才になる僕のOba-Chanは、他の多くの大正生まれの人がそうであるように、自分の希望を一番最後の、そのまたもうひとつ後ろくらいにもってくるような人だ。



欲しい物を聞いても答えてくれないし、希望を聞くと、みんなが楽しく過ごすこと、と答えてしまうような奥ゆかしい人だ。



奥ゆかしい、と書いたがそれは正確な表現ではなくて、きっと本当にそう思っているんだろう。



そんなOba-Tianが、自分が弱ってしまう前に僕に会いたい。というのだから僕はびっくりしてしまった。



なんだか悪いことを考えてしまいながら、高校までずっと過ごした実家へ帰ると、おばーChanはいつものように微笑んでいて。あららーすっかり大きくなったねぇ、いやいやおばばばあちゃんすっかり大きくなってもうだいぶたつかい、ほんとじゃねえーあっはっは、なんて話をしてなんだか拍子抜けしてほっとした。



我が家は共働きだったこともあって、自転車で30分の距離に住むおびゃーちゃんは毎朝毎朝、小さかった僕と姉の面倒を見にせっせと自転車をこいでやってきてくれた。暑い夏にはタオルを巻いて、雨の日にはカッパをかぶって、春も夏も、秋も冬も。



おばあちゃんが保育園に連れて行くと、僕たち姉弟は道ばたのたんぽぽやらてんとうむしやら犬や猫に夢中で何度も足を止めて遊び始めた。



ばばばーchanは保育園へたどりつかない僕らに困りながら、道路に飛び出さないかやきもきしながら、ずっと面倒をみてもらって僕らは大きくなった。



善悪の基準はちゃんおばあが喜ぶか悲しむかだったもんだから、反抗期を迎えてもグレてしまう芽は早々に摘まれた。



僕と初めて出会った時に60才だったおばあちゃんは、今年88才を迎える。



ちょうど6周り離れていた僕は同じ寅年なことが嬉しくて、ちいさい頃よくおばあちゃんの腕に噛み付いていたものだった。寅のつもりだったのだ。ごめんね。




そんなおばーちゃんと一緒におじーちゃんの墓参りへ行った。




おばあちゃんはからだを支えるために乳母車を押して歩くから、僕はできるだけゆっくり歩く。




道路を渡るときに、車が来ない間に渡れるように気をつける。



荷物を持とうとしてもなかなか渡してくれなくて、結局受け取るときにはありがとうねぇ、とお礼を言われる。



そんなおばあちゃんは僕をおんぶして家まで連れて帰っていたのに。




・・・




そんなある晩、ランニングに行こうと思って着替え始めるとおばあtyanがなにやらごそごそと、どこかから何かを持って来た。




見ると、選挙運動の候補者がからだに巻き付けるような、太い大きなたすきの反射板だ。





おばあちゃんは車が危ないから、ひかれるといけないから、これをつけて走りなさいと渡してくれた。






こんなものどこから手に入れたのか不思議だったけど、とにかく夜道は危ないから付けなさいなと言ってくる。



大げさだよO-Ba-Chan、と返そうとしてふと気がついた。




そうだ、僕のばばばーちゃんはいつもこうだった。




いつだって僕を守ってくれた。




そのやり方はいつも率直で純粋で、周りの目を気にしてないし、いつだって同じように揺るぎなくて、今と1ミクロンも変わってなかった。



おばあちゃんに渡された、ばかみたいに大きな反射板をからだに巻いて走る。



そして、いつかこんな風に僕も誰かに「夜道は危ないから反射板をつけていきなさい」と言う日が来るんだろうと思う。




僕がこうして渡されたように、僕も誰かに渡すのだ。





僕に託された愛情というたすきを、渡すのだ。





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帽子は手編み



ばばばあちゃんよう!






ありがとよ!






長生きしろよ!(o'∀`o)-☆






またお正月な!(*´ω`*) デンワスルワー