社畜のはりきり朝ごはん

社畜なのにがんばって朝ごはん作るよ!ホントだよ!炊飯器でカレーとか作るんだよ!٩( 'ω' )و

おばあちゃんと僕のお話

「おばあちゃんがここ数日水を飲めなくなった。話ができるのは最後になるかもしれない」

 

という電話が親父から届いて、できるだけ早い飛行機を調べて宮崎に帰る準備を始めました。

 

去年の暮れ。土曜の朝10時頃だったでしょうか。

 

風は冷たいけれど天気は良くて、日なたを選んで歩くとぽかぽかといい気持ちでした。

 

 

この記事は僕からおばあちゃんへの手紙でもあり、どんなに偉大でグレートなマザーだったか覚えておくために書いた記録のようなものでもあり、そして何より、お礼である。

 

スケジュールの調整は意外に簡単で、予定してた友達は「それは早く帰ってあげな」とすぐに返事が来た。

 

 

二泊三日の宮崎旅行。

 

その主な目的は、僕を育て、愛してくれたおばあちゃんとのお別れだ。

 

 

 

飛行機に乗りながら思い出す。

 

そういえば昔っから、おばあちゃんは僕が暇なときを探るように呼んでくれた。

 

 

よく覚えているのは僕がまだ高校生の頃、当時大学受験が終わって上京するばかりの頃に、おばあちゃんは車との接触事故で足を怪我して入院した。あの健康だったおばあちゃんが。

 

 

僕はどうせ暇だったので昼に夜にと変な時間に病院に寄ると、なんだかこちらが照れるくらいとても喜んでくれたものでした。

 

 

「こんなして大事にされるなら入院をしてみるもんやねえ!」

「そんないうておばあちゃん、これからは気をつけないかんよ」

なんて、おばあちゃんはよく笑った。

 

 

その事故を最後に、おばあちゃんは自転車をこぐことは無くなった。

 

 

それまで毎日毎日、雨の日も、晴れの日も、姉ちゃんが小さい時から、自転車をこいでせっせと僕たちの世話をしにやってきたおばあちゃんは、こうして一つの役割を終えたのだ。

 

僕が家を出るまでの18年の間、おばあちゃんは僕のことを見守って、そして送り出してくれたのだ。

 

 

宮崎に飛行機が着いておばあちゃんを訪ねると、家族も親戚も揃っていて、いろんな話がなされた。食事が喉を通らないこと、その原因は老衰であること、そして、おばあちゃんのこれまでのたくさんのエピソード。

 

 

途切れ途切れだけど話をして、きちんと状況も分かっているおばあちゃんは、なんだかすっかり身支度を終えているようにも見えた。

 

 

次の日のお昼に僕が1人で施設を訪ねると、おばあちゃんは、みんながくつろぐリビングの一角に移動させてもらっていた。

 

スタッフの方が、

「こっちの方が賑やかですし、誰も気づかんことがないようにですね」

と教えてくれた。

 

 

僕の91歳のおばあちゃんは今や、いつ旅立ったとしてもおかしくないのだ。

 

 

手を握るとそれはちょっとびっくりするくらい冷たい気がして、でもずっと握ってるうちにちょっとずつあったかくなって、それが嬉しいみたいに握り返してくれた。

 

 

おしゃべりもできて、落ち着いていて、僕のことを目を細めて見上げてくれるおばあちゃんは、まだ元気なようにも見えて僕は少しホッとした。

 

けれど、本当に小さくなった。

 

見ているだけでまぶたの裏がじんわりと熱くなる。

 

そうだ。おばあちゃんの体は長年の酷使で、それこそ米袋やら重たい孫やらなんやらに抱っこをせがまれて、その歴史の重みで、腰はすっかり曲がってしまったのだ。

 

 

どんな話をしたっけな。

 

確か僕ばっかりが話をした。

 

とても短い言葉で返事があった。 

 

 

おばあちゃんが時折微かな声でお茶、という。

 

 

そしたら僕は麦茶で脱脂綿を湿らせて唇に含ませてあげるのだ。

 

するとおばあちゃんは「夏」「麦茶」「コップ」のようなことを途切れ途切れに言った。

 

おばあちゃんと長い時間を過ごした僕にはすぐにわかる。

 

 

僕が小学生の時、家に帰ったらものすごく喉が渇いているんだけれど、おばあちゃんが麦茶を注いでくれるもんだから、僕は満杯でー!なんて言って、おばあちゃんは本当にコップになみなみと注いで、それはもう溢れんばかりだったもんだから持ってくるときに溢れそうになって、おばあちゃんがこぼれるがーって言って自分で唇の先で麦茶を飲んで、僕のところに持って来てくれるときには普通の量になっちゃう。それを見て僕らは笑った。

 

 

おばあちゃんはきっとこのことを言ってるんだろうと思って、何とはなしに、目もどこか笑っているように見えて、もしかするとおばあちゃんは久しぶりに僕に会って麦茶を飲んでいるから、その時のことを思い出しているのかもしれないなんて思って、いや、もしかすると意識はその時の記憶を今まさに旅していて、夢を見ているのかもしれないなんて思って。

 

 

僕もそんなおばあちゃんを見つめながらいろんな思い出の夢を見ていて。

 

 

僕の右足の薬指の付け根には怪我の跡がある。

 

それは幼稚園のブランコでどれだけ遠くへ飛べるかジャンプしてついた傷だ。

 

血が出て泣いていると、一緒に遊んでいた太っちょの友達が(ああ、そうだ、つきのくんという名前だった)驚いて僕んちまで走って行っておばあちゃんを呼んでくれて、おばあちゃんはガシッと僕を抱き上げて家まで連れて帰ってくれて。そうだ。そのときおばあちゃんは僕を軽々とおんぶしていた。

 

こんな話もある。

 

小学校2年生の時だったけれど、クラスの担任の先生がお休みで、隣のクラスから自習を見に来た先生がなぜかとびきり怖い話をした。(確か、のはら先生という名前だ。いつもどこかひょうひょうとして、子どもを驚かせるのが好きな男の先生だった)

 

その話が当時の自分史上最高に怖かったもんだから聞いてて子供は泣き出すし、僕はその頃バッチリトイレに行けなくなって、今思い返してもなんであの時そんなに怖い話をして来たのか、もう怖いのと嫌なのでクラス中パニックだったような気もするし特別怖がりな僕を含め数人だけが泣いてたような気もするし、とにかくそんなときに真夜中僕が寝れずに怖がっていると(だって夜に幽霊がやって来て、みたいな話だったのだ。怖いよね!怖くない?)

 

おばあちゃんが「そんな時は、歌を歌うんよ」といって歌ってくれた。今でも思い出す、おばあちゃんの歌声。お世辞にも上手とは言い難くて、小さくて細くて優しい歌声。

 

 

お腹が減ったときにはご飯を作ってくれた。

 

家に帰っておばあちゃん!何かない!?と聞けば「ご飯がたけちょるけど、おかずがまだできちょらんがね」と言って僕が「お塩!」なんて言ってね。「あらあんた塩だけでご飯を食べるとはグルメじゃがあ、あっはっは」みたいなやり取りを何度もした。

 

 

おばあちゃんが寅年生まれで、僕も同じだと分かった時は「おばあちゃんも寅年だからー!」なんって言っておばあちゃんの腕に噛み付いたりしてね。アホの子かな。

 

 

僕が栄養ドリンクを作るんだ!とか言って僕が牛乳をベースに思いつく限りの調味料を入れてできた得体の知れない飲み物をおばあちゃんにあげてた時期があって、砂糖や塩は可愛い方で多分醤油とかお酢とか入れてたような気がするんだけどおばあちゃんはそんなの気にせずにね、それをぐっと飲み干して元気になったが!とか言ってくれてね、僕はそれを本気にしてまた作った。アホの子かな。

 

 

後で聞くとそんなこともあったかねえなんておばあちゃんは笑ってね。ごめんね。

 

たくさんのことを言葉じゃなくてその仕草で教えてもらって今思うのは、僕がおばあちゃんからもらったものは混じりっけなしの愛だった。

 

 

 

愛とは。

 

それはきっといろんな人がいろんなことをいうのだろうけれど、僕がおばあちゃんからもらった愛は、とても明確で揺るぎがないものだ。

 

 

おばあちゃんが僕にくれた愛の正体、それは「時間と手間」だった。

 

怖いときにはそばに来て歌を歌ってあげること、怪我をしたらおぶってあげること、お腹が減ったらご飯を作って食べさせてあげること。

 

そしてそれを何十年もの間、弛まず続けること。

 

 

それは紛れも無くとても純粋な愛情を形にしたもので、僕がずっと、毎日毎日受け取り続けたプレゼントだ。

 

 

カッパを着て自転車を漕いで雨でびしょ濡れになりながら、暑い日に汗をかきながら、僕に毎日届けに来てくれたのは愛だった。

 

 

僕も今、おばあちゃんが僕にしてくれたように、愛情を誰かにプレゼントできればなあと思うよ。

 

歌を歌ってあげたり、おぶってあげたり、ご飯を作ってあげたい、と思うよ。

 

 

ああでもおばあちゃん、僕は寂しいよ。

 

おばあちゃんがいないのが寂しいよ。

 

 

なんとなく100歳まで生きれるといいねなんて言って、どこかそれを期待していたような気もするし、だけどもう91歳だったんだね。

 

僕は漠然とおばあちゃんにはお嫁さんのことを会わせられたら、と思っていたし、結婚式をあげる時がきたら出てもらえるんだと思ってた。

 

でももう、91歳なんだね。

 

 

もう、こうして会話できるのは最後になったんだね。

 

 

おばあちゃんは話をして、眠くなったみたいで僕は部屋に運んで毛布をかけてあげて明かりを消して、部屋を出た。

 

 

そしてそれは本当に、本当に最後の会話になって、その翌月、おばあちゃんが亡くなった知らせを受けて、僕はまた東京から宮崎に帰ることになる。

 

 

僕はこうして今も、おばあちゃんのことを考えると涙が出るよ。

 

 

きっと、おばあちゃんはこの世界での自分の役割が全部終わったと思ったのかもしれないね。

 

そして、その役割の一つは、おばあちゃんの貴重な人生の何十年かをもらって、僕に愛情をプレゼントすることだったと、おこがましくも僕は思うよ。

 

 

僕はアホの子だからきっと受け取り損ねたものもたくさんあって、だけどそれでもどうしたって伝わるすごい愛情を渡してもらったと思う。

 

 

ありがとう。 

 

 

僕は今32歳になって、おばあちゃんとの年齢差が少しずつ小さくなっていくようになったよ。

 

僕も受け取った愛情をきちんと誰かに差し出したいと思うよ。

 

 

本当にありがとう。 

 

消してもう二度と戻らぬ日が いつまでも輝けばいいな

なんどもなんども見上げた背中はもう 前を向いたまま

 

どこかで今も僕のことを見ているかい?

 

 

またきっと会おうね。

 

 

僕のおばあちゃん。

 

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