はい!今日はなんとクリームシチュー!
くるみパンのトーストと牛乳を添えて完成です(ゝω・)
炊飯器で煮詰めたせいで黄色くなってきた
…おや。
これはデジャヴ?どこかで見たようなこの献立…。
…これ昨日の朝ごはんといっしょや!
同一や!
というわけで作り過ぎたクリームシチューを同じ献立で、おいしいなあおいしいなあと思いながらもぐもぐ食べてたんですけどね。
これもし自分が作ったクリームシチューじゃなかったら「えー!またクリームシチュー…」とか言われてたかもなあ、なんて思ったわけです。
シェフとしてはこれ「できた!これがシチュー湖!」とかって、深夜に起き出してひーぎゃーと叫びながら保温でええんかいな、とかブロッコリー消えてる!とか新鮮な事件を起こしつつ食卓まで届けたんで、愛着というか、あんな苦難を越えてこんなにおいしい!みたいな物語があるけれども、これ結果だけ見たら2日連続シチューやからね。
というか月曜日夜も食べてるから実に2日中3食クリームシチューで下手すりゃ4食クリームシチューでポーカーで言うところのフォア・カードなわけですわ。
こりゃ食卓でご飯出てくるの待ってる人からしたらツライよね。あたしんち2日で4食クリームシチュー食べてるの!とかって娘がイジメられたらどうしようとか心配になるレベル。
で、何が言いたいかというと、
作り手の気持ちは食べ手にはそんなに伝わってないんじゃないか?というごくシンプルなギャップ。
でも今ならわかるのだ。毎日おいしくて違う種類のご飯を作るって大変なのだ。
メシを作る立場になるまでなかなか気付かないものなのだ。
だからまた同じ献立ー?とか言っちゃってきたのだ。
4食クリームシチュー食べ続けながらついに気づいてしまったのだ。
で、ここまで考えた時にこの前読んだスパルタ婚活塾の記事が頭をよぎったのです。
以下引用。
”――「相手の立場に立つ」。これは恋愛のみならずビジネスや人間関係、様々な場面の奥義として知られる言葉だ。しかし、この言葉の本質を理解している者はほとんどいない。
相手の立場に立つとはどういうことか。
それを一言で言うなら
「相手の立場をできるかぎり『経験』して、相手に近づくこと」
である。
もし高価な婚約指輪をもらいたいと思うなら、実際に、誰かに高価なプレゼントを買ってみよ。すると、高価なプレゼントを買うという人間の気持ちがどう動いているのか、どういうときに人は人を喜ばせたくなるのか、どういうリアクションをされるとうれしいのか、手に取るように分かるだろう。”
そうか…そうだったのか…俺は今主婦だったのか…。
うん、これからは同じものが出てきても嫌な顔ひとつせず食べよう。ご飯を作った舞台裏ではもしかするとたくさんのシチュー湖を作りながらここまでたどり着いたかもしれないと思いを馳せるのだ。
でもまあ一方で毎日違うものを食べたいという気持ちもわかるわけで、作り手側はも少しアレンジしたり、もっと言えばシチューは冷凍したりしてストックして違うご飯作っても良かったよね。
そう、作り手は食べ手の立場に立って、食べ手は作り手の立場に立って考えると、そこに何かが生まれるのではないか。
17夜連続のクリームシチューなのにあたかも生まれて初めて食べたかのようにリアクションをして作り方を聞いてくれたら作り手も嬉しいのではないだろうか。
という食べ手を見越して17夜連続の、クリームシチュー作り過ぎちゃった、の前フリからの、クリームシチューをホワイトソースに見立てたクリームコロッケでぎゃふんと言わしたら食べ手も嬉しいのではないだろうか。
そうなのだ、食卓は相手の意表をつく戦場なのだ。
こうして相手へサプライズの喜びを提供すること。
すなわち相手の裏をかくこと。
それが…
表無し(おもてなし)のこころなのである…!!
次号、「悲報!シチューを入れた炊飯器を開けっ放しにしたまま会社へ行ってしまった」の巻\(^o^)/
毎日が、
エブリデイ!\(^o^)/